【リレーインタビュー2】 澤田純NTT会長(中) あなたは価値多層社会を認識できますか——世界に問いたい視座の転換
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澤田純共同代表理事インタビュー連載の「中」です。
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ニュース・記事内容
――「新しい哲学」を構想していくうえで、その基礎を東洋・日本の哲学に置いた理由を教えてください。
カントが言う「自律的自由」を持っている、言い換えれば「自分ありき」というのが西洋的発想です。他方、日本の場合は多神教でもありますから、「多数の中に自分がいる」という概念を大切にしていますよね。この方向性の違いは非常に大きくて、私が求めている「新しい哲学」は後者に近いだろうと考えたからです。日本の良さ、東洋の良さを前面に出したいと思いました。
そういう意味で言うと、これも出口さんの言葉ですけれど、「価値多層社会」というフレーズはすごい。東洋の我々も西洋から影響を受けていますし、西洋の彼らも東洋から影響を受けていますよね。人間は一人一人をよく見ると色々な文化や文明、価値観から成り立っているわけです。つまり、単純一色ではない。とすれば、多くの人間で構成する社会は多様であり多層でもありますから、それを「価値多層社会」という言葉で表現しているのです。
――「多層」と似た言葉に「多元」があります。
「価値多元社会」だと「色々な人がいるよね」というダイバーシティーモデルになってしまいます。私たちが目指すのは、それではありません。
ただ、「価値多層社会の実現を目指す」という言葉の本質的な意味は、実は「もう既に価値多層社会になっているということを、皆さんは認識できますか」という問いになります。今はまだ多くの人々がそう認識できていないはずだ、というところが出発点ですね。
――澤田会長から見ると、既に世界は価値多層社会であると。
そうです。ところが、全体主義的であったり、原理主義的であったりすると、価値多層社会を認めることができません。全体主義や原理主義には、価値が「一つ」しかありませんからね。米国で分断が進んでいるのは右も左も極端になって、よく見たらどちらも全体主義だからなんですよ。右も左も許容できる、日本でもそういう層を増やしておかないと危ないと思います。
近代社会は、西洋が浸透したり東洋が浸透したりして複雑化しました。その多様な社会自身が色々な層を織りなして、表面的にはどこの層まで見えているかわからない。「入れ子」構造でますます複雑になっている。人の幸せ、自分の幸せを両方実現するには「価値は多層化している」「社会はそういうものだ」ということを認識することから始めなければならない。そう思っています。
――澤田、出口両共同代表理事は、国際的なネットワークの構築に向けて欧州や米国などを訪問しています。手応えはいかがですか。
出口さんとは「海外を動かさないと日本ローカルの動きで終わってしまう」という共通認識があります。ですから、あえて積極的に海外に出ていき、海外から動きを作る。それを日本で広く拡大展開していくという戦略で臨んでいます。
それに、海外との連携なしに「日本発」「京都発」で世界へ発信する形をとると、まるで「京都中心モデル」を志向しているかのように映ってしまいますからね。私たちが提唱したいのは、協調性があって水平的な関係が成り立ち、何者も利益や価値観の真ん中を占めないという中空構造モデルです。これを出口さんは「共冒険者(フェローシップ)モデル」と呼んでいますが、こうした考え方と私たちの行動が矛盾しないよう意識しているところです。
出口さんが「WEターン」と名付けて提唱している思考方法は、「わたし=I」は一人だと何もできないという根源的なできなさを認識し、自分は常に「われわれ=WE」の一員であるとの視点に立ち返ることです。ここで海外の方に理解していただきたいのは、WEターンは「自分を殺した集団主義」とは全然違うという点です。
欧米の方々と話をすると、WEターンが没個性を奨励しているかのように受け取られがちなんですよね。だから誤解を生まないよう、私が説明する時には「WEの中には動物も道具も家族も友人も、そして自分もいる」という簡単な絵を描きながら伝えています。二元論で「IかWEか」ではなく、個人は大事だという大前提のもとに、人間は「IでありWEである」と捉える概念なのです。
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