国際的哲学誌「Mind」に論文掲載 KIP研究員のモーティマー博士 共同行為を「行動」から捉え直す新提案

 京都哲学研究所の研究員で英オックスフォード大学インテーザ・サンパオロ・リサーチフェローと京都大学経営管理大学院特定講師も務めるサミュエル・モーティマー博士が、論文 “What’s Special About Collective Action?” (共同行為の特性とは何か?)を国際的哲学誌 「Mind」 に発表しました。Mind は行為論・心の哲学・倫理学などの分野で世界的に高い評価を受ける学術誌の一つで、今回の論文掲載はモーティマー博士の研究が現代の社会哲学と行為論の議論に重要な貢献をもたらすことを示したと言えます。

Details

 モーティマー博士は論文で、現代の行為論における長年の前提——「共同行為(collective action)は共有意図や集団意図といった特別な心的状態に依拠する」という想定——に異議を唱えています。従来、オーケストラで演奏する、連れ立って歩くといった共同行為は、個人の意図の単純な寄せ集めでは説明しきれず、個人を超えた「特殊な意図」の存在を前提に考えることが必要だと論じられてきました。

 これに対し、モーティマー博士はデフレ的(deflationary)な見方を提示します。すなわち、単独行為と共同行為の差異は「心の内部」にではなく、「振る舞い」の側にあるという提案です。同じ旋律でも強弱があるように、同じ行為も「単独で」なされうる一方で「集団的に」なされうると述べます。オーケストラの演奏が共同的であるのは、謎めいた「われわれ意図(we-intention)」が前提されるからではなく、演奏者がそれぞれ異なるパートを担い、互いの演奏に応答し、調整し、適応していく——その具体的な相互作用の様式にあるとの見方を示しました。

 共同行為を行動的な観点から理解することで、モーティマー博士の論文は特殊な意図や集団心理を措定する必要を退けます。その含意は、集団エージェンシーをめぐる議論にも及び、集団を独立した主体として仮定しなくとも、集団が何をし、いかに行為するのかを説明しうる可能性を示します。

 さらに重要なのは、個人で行うことと他者と共に行うことの間に、深く根本的な形而上学的断絶があるわけではない、という示唆です。モーティマー博士は、個人行為が共同行為に対して一方的に「より基礎的」であるという見方自体が、行為論を長く方向づけてきた個人主義的バイアスの産物であると位置づけ、両者を同一平面上で捉え直す理論的可能性を提起しました。

 本研究は分析哲学の精密な概念分析に依拠しつつ、行動科学や社会的存在論との接点を開くものでもあります。日常的な協力や共同実践が、どのような相互応答のパターンから成立しているのかを明確化するという点で、現代の社会哲学・行為論の最前線に位置づけられる成果と言えます。

 論文は以下よりご覧いただけます。

“What’s Special About Collective Action?” (Mind)

 

 

原語がcollective intentionなので、collective action = 共同行為との文書内一貫性を考慮し、「共同意図」としてはどうでしょうか。

 

 

 

ここも原語が collective intentions なので共同意図としてはどうでしょう

 

このままでも問題ありませんが、social ontologyは「社会存在論」とする方が多いと思います

 

原文はto clarify how human cooperation and shared practices emerge from the web of everyday activity. なので、「日常的な活動の重なり合いの中から人間の協働や共有された実践がどのように生まれるのかを明らかにしようとする」などとしてはどうでしょうか(ポイントはeverydayの係り方とsharedを共同ではなく「共有された」と訳す点です)。

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