【リレーインタビュー1】 出口康夫京大教授(中) 「価値」は共同行為の接着剤 多層性に目を向ければ「社会は変わる」

出口康夫共同代表理事インタビュー連載の「中」です。

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――出口教授は、現代は「価値に関する不確実性の時代」だと指摘しています。そもそも「価値」とは何でしょう。

価値には色々なものがあって、たとえば肉体的な快楽、知的な快楽、精神的な快楽もそうですし、道徳的な善、美的な美しさ、これも価値です。幸せ、Well-being、私は「Well-Going」と言っていますが、これも価値ですよね。それから「真理」も一種の価値だという考え方も出てきて、哲学の中でも重要な概念として議論されてきました。

価値という言葉で一括して扱われるようになったのは19世紀半ばから後半ぐらいのことで、割と新しい。いずれにしても「価値とは何か」ということ自体が哲学の大問題でした。そして、様々な人が色々な回答を与えています。私の回答は「価値も行為に即して考えましょう」というもので、行為に首尾一貫性、まとまり、つながり、広がりを与える、これが価値だと考えます。

のどが乾いたから何かを飲むという行為は、身体的な欲求を実現するという意味で「価値の実現」です。考えずにぼんやりするのと違って色々と計画し、考えて、行為を繋ぎ合わせて初めて価値に近づくことができる。逆の言い方をすると、価値は各々の行為を繋げていく。そして、価値を実現する時は一人だと何もできないので、仲間すなわち「WE」を作り、広げていかないといけない。つまり、価値があるから行為はまとめることができる。行為を束ねてきたものが実は価値なのでしょう。価値は行為に明確な方向性を与えるベクトルそのもので、人類の共同行為を可能にしている接着剤が価値なのだろうと思っています。

価値がなければ人類のサバイバルはなかったと言えますし、価値がなければ社会もない。そういった意味で、価値は非常に原始的なものです。生得的で進化論的な、ある種の概念や直観ですけれども、人類を人類たらしめている根源的なものだろうと思っています。

 

――京都哲学研究所は、一つのベクトルを作ろうとしているのでしょうか。

そういうことですよね。価値をベクトルとして立てることで賛同者が集まり、行動や運動という形で、しかも単発的なものではなくて、もう少し長期的に一定の方向を向いて協力していく。つまり、京都哲学研究所の「WE」を作る。このWEを作る「価値」を提案するのが、当研究所の一番のミッションだと思います。

 

――京都哲学研究所は「価値多層社会」の実現を掲げています。実現したら、世の中はどう変わるのでしょうか。

一般に「多様性」という時、様々な色の玉が混ざり合っているイメージが想起されると思います。白い玉もあれば、黒、赤、青い玉もある。けれど、一つ一つの玉は一色で、単一色の玉が集まることで多様な社会を作るというイメージです。その前提は「個人のアイデンティティーや価値観は一つであって、人それぞれ違いますよね」という考え方です。しかし、我々が言う価値多層性は「個人も一つの色ではないですよね。違う色、場合によっては対立したり相矛盾したりする色が個人のアイデンティティーの中で同居しているのではないですか」という視点に立っています。違いは、アイデンティティーが単層なのか多層なのかという点です。

社会も同じだと思います。社会は一つの価値観で出来上がっているわけではなく、相対立する価値観が緊張関係もはらみながら共存している。日本もそうですよね。明治以来、西欧的な価値観を取り入れて、我々の体に染み付いているところがある。一方では日本古来の、あるいは東アジアに根差す価値観を持っている。実はアフリカの人たちもそういう語り方をします。西洋のものが入ってきたけれど基底にはアフリカ的な価値観があって、奇妙な仕方で共存しているし、場合によっては緊張をはらんだ形で同居していると。そうした価値多層性は、割と普遍的なのではないかと考えています。

社会を設計する時に単一の価値観だけでとらえると、表面に出ている色だけが取り出されて、層状に存在しているはずの下の色は結果として抑圧されてしまいます。価値多層の考え方が浸透すれば、個人の多層的なアイデンティティーをどれだけ実現できるか、社会的にどう表現できるか、ということが問われるようになる。そういう世の中にしていきたいのです。

 

「下」に続く

 

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