AI時代に問う「私たちは誰か」 ボン大学・国際カンファレンスで京都哲学研究所が基調パネル

 ドイツ・ボン大学で5月19日に開かれた国際学際カンファレンス「第2回Desirable AI国際会議:非合理性とAI時代」で、京都哲学研究所による基調パネル「価値多層社会の実現に向けて」が行われました。会場には国内外の研究者ら約100人が集い、AI時代における人間の価値や哲学の役割について議論しました。

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 本カンファレンスは、ボン大学科学思想センターとケンブリッジ大学レバーヒューム未来知能センターが共催したものです。大規模言語モデル(LLM)の普及を背景に、AIが人間の思考や感情、言語活動に与える影響を多角的に考察することを目的に開催されました。

 

 基調パネルでは、当研究所シニア・グローバル・アドバイザーのマルクス・ガブリエル教授(ボン大学)が司会を務め、当研究所の共同代表理事を務める京都大学の出口康夫教授とNTTの澤田純会長、当研究所の理事である日立製作所の東原敏昭会長が登壇しました。

 

 ガブリエル教授は冒頭、気候変動、地政学的紛争、移民、AIなど、現代社会が直面する課題を「入れ子状の危機」と表現しました。個々の危機は独立して存在するのではなく、互いに複雑に絡み合っていると指摘。そのうえで、こうした課題に向き合うには、哲学者や研究者、企業経営者らが分野を超えて協力する「新しい啓蒙」が必要だと述べました。哲学者と産業界のリーダーが協働する当研究所については、「この種の協力としては地球上で最大のもの」と紹介しました。

 

 最初に登壇した出口教授は、なぜ当研究所のような組織が日本で生まれたのかを、「複数のアイデンティティ・クライシス(自己認識の危機)」という観点から説明しました。

 

 第一は、AI時代がもたらした人類全体の実存的な危機です。人間を上回る知的エージェントが登場したことで、「人間に残されたものはあるのか」という問いが避けられなくなったと述べました。第二は企業やビジネスのレベル、第三は社会全体のレベルでの危機です。

 

 出口教授は特に、戦後の日本が普遍的人権やSDGsといった価値を外から与えられたものとして受け入れてきた側面に触れ、「他者から与えられたものとしてではなく、私たち自身の精神性や哲学的思考の底から再定義し、再利用すべきだ」と論じました。

 

 また、アイデンティティとは「私は誰か」という問いへの答えであり、それは記述的な問いではなく、「どのような人間になるべきか」という規範的な問いだと説明しました。

 

 そのうえで、出口教授は当研究所が掲げる「Weターン」を提示しました。これは「私がする(I do)」から「私たちがする(We do)」への転換です。誰も一人では何もできず、すべての行為は「私たち」の一員として行われる集合的な行為であるとの考え方を示しました。

 

 続いて登壇した東原会長は、「なぜビジネスリーダーは哲学を必要とするのか」をテーマに講演しました。

 

 日立は鉄道や送電、工場自動化などの社会インフラ事業を展開しており、従業員約29万人のうち6割以上が海外出身者です。多様な国籍や文化、宗教、価値観を持つ人々が一つのチームとして働く時代には、「単にルールや規制だけで人々をまとめることはできない」と指摘しました。

 

 1910年の創業以来受け継がれてきた「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という企業理念と、「和・誠・開拓者精神」という創業の精神を紹介しながら、「人間であるとはどういうことか」「信頼とは何か」「私たちはどのように共存していくのか」といった哲学的な問いに向き合う必要性を強調しました。

 

 また、利益の最大化だけでは企業は社会から支持されなくなっていると指摘し、環境価値、社会価値、人間価値を経営の中心に据えなければ、顧客や投資家、人材から選ばれなくなると語りました。AIやロボットが人間の仕事を大きく変えつつある中、「人間の真の価値とは何か」「究極の効率は本当に人間の幸福につながるのか」と問い続けることこそが経営哲学の役割だとし、「未来の社会は人間がデザインすべきだ」と訴えました。

 

 澤田会長は、哲学を社会の実践につなげる取り組みについて語りました。経団連副会長であり、科学技術立国戦略特別委員会委員長でもある澤田会長は、科学技術イノベーションによる経済の好循環を目指す提言を直前に高市首相へ提出したことを紹介しました。

 

 その提言の特徴について、「科学技術は哲学という側面を考慮しなければならない」という視点を盛り込んでいることだと説明しました。科学と産業の連携は広く語られる一方、そこに哲学を位置づける議論は少ないと指摘し、これは第1回京都会議から得られた重要な成果の一つだと述べました。

 

 また、科学を「プロメテウスが私たちに与えた火」になぞらえ、良い面も悪い面もある矛盾した存在だと位置づけました。だからこそ、その力と慎重に向き合うために哲学が必要になると語りました。

 

 さらに、人口減少や資源制約、国際社会の分断が深まる中、科学技術を国家戦略の中核に据えながら、国際社会から信頼される「価値多層社会」の形成を目指す考え方を紹介しました。この構想は経団連の提言にも反映されています。議論の中では、従来の資本主義を発展させた「倫理資本主義」の必要性にも言及しました。

 

 後半の質疑応答では、価値と製品の関係や、AI時代における新たな価値のあり方などについて活発な議論が交わされました。

 

 価値とは何かを問う質問に対し、出口教授は「価値とは、私たちの身体的な行動に方向性を与えるベクトル、矢印です」と説明しました。そして、哲学者の役割の一つは、すでに存在している価値を言葉にし、明確にすることだと語りました。

 

 また、会場からは、AIと対話しながら自己を形成する若い世代の変化に触れ、科学、産業、政治など社会の異なる分野が一堂に会し、ともに考え、議論すべきだという意見も出されました。東原会長はこれに対し、「2040年、2050年にどのような社会をデザインするのか」を考え、人間中心の社会を創造していくべきだと応じました。

 

 今回のボンでの議論は、AI時代の根源的な価値を問い直し、その視点から社会や世界のあり方を再構想しようとする当研究所の取り組みを、国際的な学際の場で発信する機会となりました。

 

 なぜ今、産業界のリーダーたちは哲学を重視するのか。なぜ哲学を基盤とした分野横断的な協働が必要なのか。

 

 当研究所は今後、第2回京都会議や「京都宣言」に向けた準備を進めながら、その問いへの答えを探求していきます。

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